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2011年4月入社、東北エリア担当。
涙と笑顔、お酒と絆。

はじめての仕事は
お詫びと返金手続きでした。

大学時代、東北一周の旅で東北が大好きになり、東北担当を希望していました。2011年3月11日、東日本大震災。その時、希望通りの配属が決定していたものの、本当に頑張れるか、人事から確認の連絡がありました。やらせてくださいと即答。

しかし、入社した4月に催行されたツアーは0本。旅の企画の仕事がしたくて入ったものの、仕事のほとんどはお詫びと返金の手続きの業務でした。震災後、はじめてツアーが催行されたのは5月のGW明けの弘前のりんご花まつり。これが旅行会社の中でもっとも早い震災後のツアーになりました。

自粛ムードの中での、
初の東北ツアー敢行。

ツアーは満員御礼。しかし、賛否両論ありました。世の中は自粛ムード一色。きっと、参加を決意されたお客様も復興の応援したい気持ち、不安な気持ち、どちらもあったと思います。 当日行ってみると、他の旅行客がゼロなのでホテルは貸切状態。静かな空間のなかで響いた「ようこそいらっしゃいました」というホテルの方々のあたたかい声。喜びがひしひしと伝わってきました。お客様も現地のホテルや事業者さんたちも、みんなが喜んでくださり大成功に終わりました。やってよかった。

東京にいたんじゃわからない風景がある。もっと多くの人に見てほしい。テレビじゃ伝わらない東北を知ってほしい。旅を通じて東北に貢献するんだ。なんとしてでもやるんだという気持ちがみなぎってきました。

東北を元気にしたい
気持ちはみんな一緒。

東北の力になりたいというお客様はたくさんいます。現地にお客様をお連れすれば、訪れた先でお金を落としていただける。そうすれば力になりたいというお客様の思いも叶えられる。そう信じて、半年後には、震災後はじめての三陸のツアーが催行されました。三陸は津波の被害が甚大だったエリア。「東北の元気なところを見てほしい」と言う現地の方々の声が後押しになりました。現地のバス会社、お食事処、鉄道会社などたくさんの方々に、今どんな状態なのか、どんなところに案内したいかなど、話を伺い、実施に至りました。一方で、震災の影響で事業をたたむと決断された会社さんも。修学旅行ゼロ、観光ツアー激減。街を襲ったのは、津波だけではない。

みんな東北を応援したいはずなのに、自粛という名のもと、被災地が敬遠されることで、被災地が苦しくなっていく。僕にできることはなんなのかという問いを、胸に突きつけられた想いがしました。

語り部の会、バスガイドさんの涙、
3年間の我慢。

地域の方々が、震災の記憶を話す「語り部の会」というものをはじめられました。みなさんが口々に語るのは「わかってもらってよかった」ということ。起こった悲しい出来事は消えないけれど、話すことで解決できることはあるのだと知りました。

ちょうど3年経った頃の添乗のエピソードなのですが、地元のバスガイドさんが、バスの中で震災に関する新聞のコラムを読まれて涙を流したことがありました。車内でもすすり泣く声が聞こえました。復興とはどういうことなのか。地元の人がどんな想いで生きてきたのか。ぐっと耐えてきた3年間を象徴するような出来事でした。

ウニ、日本酒。
飲んで、笑って、ベロンベロン。

東北の人たちとはまじめな話ばかりをしていたわけではありません。お酒を飲むこともありました。日本酒を指して「右から左まで飲んでみよう」と無茶な冗談で笑ったり、「うまいものはうまい時に食え」と旬の海の幸をご馳走になったこともあります。三陸と言えばウニ。それまで苦手だったのですが、おかげさまで食べられるように。

陸前高田の「ゆきっこ」というにごり酒を、飲むヨーグルトで割って飲むと美味しいことも教えてもらいました。甘くて飲みやすくてとても危険なお酒。一緒にベロンベロンになったこともいい思い出です。

観光とは、
地域と人が手をつないでできている。

入社するまでは、旅行とはいわゆる「観光地」をつないでつくるものだと思っていました。でも、実際は地元の会社さんや行政の方など、人と地域のつながりでつくっていくものなんだということを知りました。今は、北陸の部署に異動になりましたが、東北のみなさんに教えていただいたことは、一生忘れないと思います。東北に負けないように僕も頑張らないといけません。